リラ修道院
[歴史]
リラ山脈の山あいにあるリラ修道院(標高1,147m)は、ブルガリアの最も代表的な修道院である。9世紀後半に僧イヴァン・リルスキー(876〜946年)が、隠遁の地としてここに小さな僧院を建てた。それがやがて中世における宗教と文化の中心地となっていったのである。
現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護下で僧院文化は華開くが、その後ブルガリアは約500年にわたりオスマン・トルコ帝国の支配下に入ることになる。この間、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことさえ制限されていた。往時にはブルガリア各地から僧が集い、約360の房で寝起きしていたという。1833年の大火災で僧院の建物はほとんど焼失してしまったが、そのあと再建され、1983年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。なかでも14世紀のフレリョの搭内部には貴重な壁画がたくさん残っている。イコン、古文書、写本など豊富なコレクションの中で特筆すべきものは、修道士ラファエル作の木製の十字架。そこには聖書の140の場面が彫られている。
リラ修道院近くの山中に、開山イヴァン・リルスキーゆかりの岩屋が残っている。彼はキュステンディル(ソフィアの南西90km)近くの小さな村スリルノで生まれ、若くしてリラ山中に隠遁した。そこで清貧の生活をおくり、日々瞑想と祈りに明け暮れ、神の声を聞き、ついにその姿を見るに到る。彼には邪悪なものを浄化する霊的な力が授けられており、そのため人々を導き、信者自らに自己探求をうながし、刹那的欲望への迷いから救い出し、神の智恵へと導くことができたという。リラ修道院の名はこのリルスキ−の名前に由来している。
[みどころ]
聖母誕生教会 (キリスト教画の傑作)
4階建ての外陣に、まるでガードされるかのように囲まれて建っている聖母誕生教会。19世紀初めに建てられたもので、大きな3つのドームが特徴だ。教会の内部や回廊の壁と天井を飾るフレスコ画は、19世紀初めの民族復興期にザハリ・ゾグラフをはじめとする当時の著名な画家たちによって描かれた。キリストや聖母マリア、修道院への寄進者の肖像、聖書に基づく物語などが題材となっている。フレスコ画の数は全て合わせると1200以上にものぼるという。教会内部のイコン(聖人の図像)は幅が10mもある立派なもの。また、聖壇所の中央や天井には大きな目が描かれている。これは神の目を意味していて、教会内部のどの位置からでも見えるようになっている。教会の建物自体は、1833年の大火災の後に再建されたもの。バンスコ出身のネオフィト・リルスキーが修復の指揮をとった。
フレリョの搭
僧院内で1833年の大火災を免れたのは、このフレリョの搭だけ。14世紀に建てられた当時のまま残っている。外壁の壁画はほとんど退色しておらず、充分に鑑賞に耐えうる見事なもの。
歴史博物館
中庭を囲む外陣の建物内にある(門から見て右手)。イコンや古い聖書などが展示されている。一見の価値があるのは、19世紀初頭に制作された僧ラファエロ作の木製の十字架。高さ約50cmの十字架には、140の聖書の場面が彫り込まれ、登場する人物の数はなんと1500人。12年の歳月をかけて完成したときには、ラファエロの視力はすっかり失われていたという。他には絨毯やタペストリー、19世紀の銅板印刷機、ネオフィト・リルスキーが発明した地球儀など、教会の宝物が展示されている。
民俗博物館
裏手にある門から入ると右手にある。中世の生活がそのまま再現された展示となっている。階段での上り下りがあるにもかかわらず、内部はかなり暗いため、足元に注意が必要。
バチコヴォ僧院
プロヴディフから南へ29km、アセノフグラッドから南へ11kmの山腹にある僧院。すぐ横をアセニッツァ川が流れ、付近は深山幽谷の趣がある。規模・建築の美しさ・壁画などの芸術性のどれをとっても、国内ではリラ修道院に次いで二番目に優れているとされ、ユネスコの保護下に置かれている。僧院の歴史は、1083年にビザンチン帝国より派遣された2人のグルジア人の僧によって始められ、第二次ブルガリア帝国の時代には皇帝イヴァン・アレクサンダルの庇護のもと大きく拡張された。11世紀に建設された棟には皇帝の等身大の肖像が飾られている。3つある教会堂にはどれもたくさんのイコンが飾られ美しい。中庭の壁画はバチコヴォ僧院の歴史を綴ったものや僧院にまつわる伝説が描かれているが、これはリラ修道院のフレスコ画を描いたザハリ・ゾグラフの作品。この僧院は19世紀の民族復興期における精神的・文化的拠点の一つでもあった。中庭ではワインをつくるための葡萄のツルが伸び、羊たちが草を食んでいる。のんびりとしたものだが、リラ修道院と同じようにこのバチコヴォ僧院も、社会主義時代の政府に弾圧された革命家や芸術家が多く逃げ込んできた。ここはこの地方の精神文化の拠りどころである。また、歩いて1時間ほどの山中には、聖水の湧き出している祈祷所や、断崖中腹に設けられた小屋に安置された聖母マリアのイコンを見ることができる。
トロヤン修道院
トロヤン市の郊外にあり、リラ、バチコヴォに次ぐブルガリア第3の修道院で、16世紀に建てられた。18世紀後半から民族復興に関する文化及び文学の活動の中心地になったという。なかでも19世紀の画家ザハリ・ゾグラフの描いた壁画は有名。オスマン・トルコ時代にはブルガリア民族独立運動の活動拠点の一つでもあった。この修道院はブルガリアの国民的英雄ヴャシル・レフスキーが革命委員会を設立した場所でもある。そんな縁もあり革命闘士Hr.イヴァノフゴ・レミアの革命部隊を組織した。そして1877〜79年の露土戦争(ロシア対オスマン・トルコ)では、ロシア軍に加勢したという。
ロージェン修道院
ロージェン修道院はブルガリア南部の町メルニックから6kmの山間にひっそりと建っている。見晴らしは最高で、眼下にはメルニックの町が見下ろせる。この修道院は、12〜13世紀に建てられた修道院の基礎の上に16世紀になってから建てられたもので、他に類を見ない精巧な木彫り装飾で有名。オスマン・トルコ冶世下で復興した修道院の中で現在まで残っているのは、国内で唯一ここだけである。ロージェンとは「生誕」を意味する。中庭に建つ聖処女教会の門には、キリストと12人の使従たちや150の聖書の場面が描かれていて、聖書に詳しくなくても感心してしまう。礼拝堂のイコンも見事。教会の向かい側には、イコンをコレクションした部屋もある。その2階には、かつて僧たちが暮らした寝室や食堂、台所などが当時のまま保存され、中世に迷い込んだような気分が味わえる。
イヴァノヴォ岩窟修道院(ユネスコ文化遺産)
ブルガリア第5の都市ルセの南21kmに位置にある。地上32mの岩を掘って作られた小さいな教会や祭壇、小屋からは14世紀の修行僧の生活がうかがえ、貴重な壁画やイコンも保存されている。1979年10月26日にユネスコ世界文化遺産に登録された。13〜14世紀に描かれたとされるフレスコ画は現在でもはっきりと目にすることができる。ただ残念なことに壁画保存のため入口に鍵付きの鉄格子がはめられており、見学には予約もしくは許可が必要で、ガイドが同行する。
プレオブラジェンスキ(キリスト変容)修道院
ヴェリコ・タルノヴォから北へ約5km、山中の景色の美しい所にある修道院。伝説によれば、プレオブラジェンスキ修道院は1331〜1371年頃、第二次ブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アレクサンダルの庇護のもと創立された。僧院の南には古代僧院の基礎が残っている。オスマン・トルコ支配下になってから1825年までこの修道院は廃棄されていた。1825年にリラ修道院の僧ゾシムが現在の修道院の場所で活動を始めたのをきっかけに、プレオブラジェンスキ修道院の復興作業が始まった。ブルガリアの有名な建築家ニコラ・フィチェフが1834年頃に教会堂の建設を完了した。壁に描かれたフレスコ画はリラ修道院、バチコヴォ僧院のフレスコ画も描いたザハリ・ゾグラフの作品だ。僧たちの寝室が建設されたのは1834〜1857年だという。
ドリャノヴォ修道院
ヴェリコ・タルノヴォの郊外30kmにある僧院。修道院の創建は1845年とそれほど古くない。1876年、トルコ軍に抵抗してこの僧院に立てこもった村人約200人は、降伏せずに戦って命を落とす道を選んだという。独立戦争にまつわる悲しいエピソードである。地元の参拝者が多く、追悼モニュメントが建てられている。外壁に残るトルコ軍の砲弾で陥没した跡が、まだなお当時の猛攻を物語っている。僧院の裏には小川が流れ、木々が生い茂って空気もすがすがしい。あたりはひっそりと静寂そのもの。まるで自然が亡くなった人々の心を慰めているかのようだ。
ソコルスキー修道院
エタラ野外博物館からさらに南へ5kmにあるヴォディツァ村の切り立った岩の上にある修道院。民族復興期の運動の産物の一つである。創立はオスマン・トルコ支配下の1832年で、創立者はソコロヴォ村のヨセィフ司教と僧アガピ。エタラ村とノヴァ・マハラ村からの寄付のおかげで、1834年に教会堂を建てられた。僧たちの寝室は1836年以降に建てられた。1836年に作られた客室と玄関は観光客に人気がある。庭の石鷹の噴水(1836年作成)は僧院の魅力の一つ。ソコルスキー修道院の西側部分は火災により大きな被害を受けたため1981〜1982年に再建された。
 
 
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